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日常的ユーザエクスペリエンス研究

その辺にあるものからユーザエクスペリエンスを学ぶ

脳をマニュアルモードに

クーリエジャポンの2014年1月号に興味深い記事が掲載されていました。

 

「なぜけが人は助けても貧しい国には寄付しないのか?」

 

車を運転していたら道端に血まみれのけが人が倒れていました。

「助けてください。病院まで乗せてもらえませんか?」

あなたはこう考えます。助けてやりたいのはやまやまだけど、新調したばかりのレザーシートが血まみれになるのは嫌だな。放っておいても誰かが助けるだろう。

こんなことを考えるのは冷酷極まりない人間だと思いますよね。

 

一方、あなたは郵便受けに慈善団体からの手紙が入っているのを見つけました。

手紙には

「地球の裏側に食料がどうしても必要な人がいる」

ちょっとした額のお金を寄付すれば貧しい国々の人々の命を救えます。

あなたはこう考えます。助けてやりたいのはやまやまだが、車のレザーシートを新調したいな。寄付はやめて貯金しておこう。

こんなことを考えるのはひどい人間だと思う人はいますか?

こちらはそう多くはないのではないでしょうか。

 

どうしてこのような判断の違いが生まれるのかについて記事は書かれていました。

 

これをカメラのオートモードに例えて説明をしていましたが、人間の脳は瞬時にオートモードのように効率のよい判断をするそうです。しかし、場合によっては柔軟にマニュアルモードに切り替えて判断をするときもある。

 

このことをさらに「トロッコ問題」という思考実験を例に挙げて説明をしています。

 

トロッコが暴走し、線路の上にいる5人の作業員をひき殺そうとしています。あなたがポイントを切り替えると軌道が変わって5人は助かりますが、切り替えた先にいる1人の作業員が命を落とすことになります。たいていの人はこれを許される判断だとするそうです。

では、同じようにトロッコが暴走し、線路の上にいる5人の作業員をひき殺そうとしていて、今度は彼らを救う唯一の方法があなたが跨線橋から1人の作業員を線路に突き落とし、彼の体でトロッコを止めるという場合だったらどうでしょうか。この場合はたいていの人は人を突き落とすことなど許されないと考えるそうです。

 

どちらの例も1人の命を犠牲にして5人の命を救うことになるのですが、なぜこのように判断の違いが表れるのか?

 

この場合、マニュアルモードでは「1人の犠牲で5人が救えるのでよい。」との判断になるのですが、オートモードでは「人を突き落すなんてダメだ」と反応する。そしてたいていの場合はオートモードがマニュアルモードの判断よりも優勢になるので「突き落すことなんてできない!」という判断を下すそうです。

 

このような判断の迷いが生じるのは脳に備わっているオートモードが原因だということです。

 

さて、わが身を振り返ってみると、自分が何かしら判断を下した時に、あとで「あの判断は間違っていたかも」と思うことってないでしょうか?

何か人から頼まれたときに、なんとなく嫌な気がして瞬時に「NO!」と言ったりするのもこのオートモードの判断なのだとすると、冷静になってマニュアルモードで判断してみると違う答えがでてくることもありそうです。

 

そう考えると、瞬時に判断することも必要な場合もありますが、「まてよ、今のはオートモードの判断だな。マニュアルモードだとどうだろうか」と冷静に考えてみることが必要なことが多いのではないでしょうか。

特に仕事の判断の場合は問題が複雑だったりしますから、オートモードの判断に頼らないように意識するべきだと考えさせられました。

 

これからは意識して気を付けたいと思います。