ブルドックソース
コロッケにざぶざぶとウスターソースをかけて食べるのが好きなので、休日の昼食にテーブルにコロッケとウスターソースをテーブルに出して食事をしていたのだけど、何気なくソースに目をやったら、結構いろんなことが書いてあることに気がついた。
おばぁちゃん(なぜ”あ”が小さいのかは謎)もお母さんもソースはブルドックなのだそうだ。そういえば、ブルドックソースであることをあまり意識したことはなくて、スーパーでソースを買う時も、その時に安いものを選んでいる。イカリソースでもカゴメソースでもかまわないので、まったく銘柄は見ていない。唯一気をつけるのは、トンカツソースや中濃ソースと間違っていないかどうかぐらいだ。
だから、まじまじとパッケージをみるのは初めてだったのだが、意外にも情報が盛りだくさんである。
おそらく「おばぁちゃんも…」のメッセージは昔からあることのアピールのような気がするが、申し訳ないけどまったく購入時には目に入っていなかった。
さらにその下には「ブルドックソース」を検索してほしいようなメッセージがある。未開封であることがわかるようにするシールだろうが、ただシールを張るだけだともったいないと思ったのか、ウェブサイトも見てほしいということなのだろうか。しかし、これも残念ながら、たぶん目に入ることは少ないだろう。
そして、検索してウェブサイトを訪れてみたのだが、ブルドックソースの企業のウェブサイトなので、そこで何を伝えたいのかはさっぱりわからなかった。おそらくは会社のアピールをしたいのだろう。
ソースを使うタイミングでわざわざウェブサイトを訪れたりはしないので、「検索」というメッセージはちょっとずれを感じてしまう。みんな気にしてないからどうでもいいことだが、パッケージが雑多なイメージだけが伝わるのはあまり印象がよくならないだろう。
ブルドックのロゴは十分に目立っているのでいいのだけど、私はこれまであまり見ていなかったので、印象には残っていなかった。ただ、どこの銘柄を買っていたのか?と聞かれたらこたえられるくらいの印象は持っていたと思う。
そして果物や野菜のイラストがあるのは、原材料をイメージしているようであるが、なぜ敢えてこれを書いているのか?
これは単に推測でしかないが、おそらく次のような理由があると考えられる。
Wikipediaでウスターソースについて調べてみると、イギリスが発祥であるそうだが、本場のウスターソースは日本のものと比べて、アンチョビやスパイスをつかったもので、もっと辛くて香辛料が強いようである。日本のものは野菜や果実をつかったもっと甘いソースになっている。おそらく、その違いを示すために原材料を表示していたのではないか。しかし、甘目のソースが定着している現在は、あまりその役割に意味はなく、単に歴史を物語っているだけのように思われる。
と勝手な仮説を立ててみたのだが、昔のパッケージを調べてみたら、ぜんぜん果実や野菜が書かれていることはなかったので、単なる推測に終わってしまった。。
イカリソースの歴史に昔のパッケージがのっている。
ウスターソースは西日本が中心で、東日本は中濃ソースの方がよく売れるとのこと。だから近所のスーパーは中濃ソースの方が品ぞろえがいいのか。と妙に納得した。
しかし、ソースのパッケージデザインはもう少しおとなしく、高級感をだした方がイメージがよくなるような気がしたが、どうなんだろう。
税金について知る
どうもサラリーマンというのは税金をたくさん取られている気がして、税金を無駄に取られない方法がないのかを調べることにしました。
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とりあえず、一通り控除のことはわかりました。
今のところ、節税といってもそんなにできることはなさそうです。
超わかりやすい特定支出控除解説!【2014年確定申告から】サラリーマンに朗報!? - NAVER まとめ
この特定支出控除は基準額を超えた分が対象になります。
たとえば、年収が400万円のケースですと、特定控除基準額は67万円になります。
この額を超えて使った分が控除対象になります。
スーツやら会社のために必要な買い物、通勤のための交通費(ただし、支給時にすでに控除されていたらダメ)などが対象ですから、計算してみると控除が受けられる可能性はありますね。
これもあまり効果がなさそうだったので、個人事業として経費を使うことを考えてみました。
でもサラリーマンで副業は禁止されていますので、週末に働くこともできません。
さて、そこで考えたのが大家さんです。
なんとなく不動産投資は節税対策だということを聞いたことがありますが、果たして本当なのか?
ということでちょっと勉強をしてみることにしました。
まずはこの本を読んでみます。
知識ゼロでも大丈夫!基礎から応用までを体系的に学べる!不動産投資の学校[入門編]―「お金持ち大家さんになりたい!」と思ったら必ず読む本
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危機感で変化をあおる
変化を厭うのは人間の性ですが、流れのない水は腐ってしまうように、常に変化し続けなければ企業はダメになってしまいます。
これは競争環境にある以上、当たり前のことですが、しかし、人間のんびりとしたいものです。
私も若いころはがむしゃらに働きながらも、
「もうすぐ楽になるよ」
と言われ、その言葉を真に受けてもうひと踏ん張りだ!と思っていたこともありました。
しかし、楽になるわけはないのです。
いや、楽になるときは企業がダメになるときでしょうね。(楽とは言わない?)
企業規模が大きくなればなるほど、自分の仕事と会社全体の業績の関係性が希薄化しますから、自分が少し頑張ったところで変わりはしないし、楽にやろうよという気持ちになりがちです。
また、過去の経験をもとに判断をしがちですから、年功序列で役職者が経験を長く積んだ人が多かったりすると、経験だけが強みになってしまいますので、役職者こそが変化を意識しないと、組織自体が劣化してしまうことにもなりかねません。
しかし、変化にはリスクが伴います。
従来の業務の延長線上で経験をもとに危ない橋を渡らなければ、減点方式の評価環境においては、新しい価値を生み出す可能性はゼロですが、従来の延長線上で成果はなんとなく出てくるわけです。(何かをやり遂げたという意味で)
従来の延長線上で業務を回しておけば利益を生むのは、その事業が拡大期にある時だけです。
企業が拡大期から停滞期に移ったときに、変化を求めず、従来の延長線上でやり続ければ、いずれ劣化することは自明ですが、拡大期しか知らない人間が組織の長にいたりすると、その人が変わらない限りはその組織の未来はありません。
ですから、変化をしてもらうために危機感をあおる。
果たして、危機感は伝わるのでしょうか?
「このまま変化しなかったらまずいですよ。」
この言葉はうつろに響く気がしてなりません。
変化を起こす気にさせようにも、足元が盤石ではそんな気にはならないはずです。
結局は
「安定なんてありえない。常に変化し続けよう。」
と思うことが大事なのだと思います。
変化は人から危機感をあおられても起こらない。
自分で危機感を感じるまでは。
会社組織のヒエラルキーは必要か
会社組織のヒエラルキーって大企業の膿みたいなものではないのでしょうか?
もし会社に「マネジャー」がいなかったら « クーリエ・ジャポンの現場から(編集部ブログ)
大企業の組織がピラミッド型なのは、上意下達がやりやすいように作られたのでしょうが、これはたくさんの人間に決まったことを効率的にやらせるのには都合がよかったのです。大量生産によるコストダウンで競争社会を生き残るためには、効率を上げることが至上命題ですから、ピラミッドが適していたのですね。
しかし、効率性がコアコンピタンスでなくなってくると、この組織形態が本当に会社に適しているのかは疑問です。
今の日本においては、もちろん効率を強みとすることもマーケットによっては可能でしょうけど、付加価値を生み出すことを目指さないと、効率性ではグローバルな企業や大きなマーケットを持っている企業に負けてしまいます。日本企業が生産拠点を海外に移し始めたころから、この兆候は表れていたのでしょうけどね。
そうなると、如何に企業が付加価値を生み出せるかということになるのですが、大企業はピラミッドによって、組織が分断されてしまっていますから、付加価値を生み出せるような多様性を持てないのですね。周りには同じ組織の同じ環境の人間ばかりですから、仲間意識や一意性の方が強いのですよ。
そうなると、様々な意見をぶつけ合って、イノベーションを起こすということなどできないわけです。しかも、ピラミッドの中間層は効率性と部分最適の経験しかしてきていない管理職が給料をたくさんもらって居座っていて、あいかわらず効率性を求めるわけですから、イノベーションなんて起きない構造になっているのですね。だから、いつまでたっても「コストダウンだ」しか言わなくて、新しい付加価値を生み出さないといけないから、そのために積極的に投資しようなんて全く思わないし、上からの指示がなければ、今までと何も変えようとしないのです。
そんな会社は果たして勝ち残れるのか。
今、世の中にはフラットな会社が生まれ始めているようです。
小さな規模のフラットな組織。大企業でなくても、高付加価値で利益率の高い産業を起こせば、十分企業として利益を上げることができるはずです。
大企業は果たして、規模だけで生き残っていけるのでしょうか?
私はヒエラルキーはもはや不要だと思っています。しかし、一度できてしまったヒエラルキーを破壊するのはとても困難でしょう。壊される人たちが意思決定者だからですけどね。
そして大企業はじわじわと衰退していくのでしょう。
このままでは日本企業はヤバい。何とかヒエラルキーをフラットに変える妙案はないものか。
脳をマニュアルモードに
クーリエジャポンの2014年1月号に興味深い記事が掲載されていました。
「なぜけが人は助けても貧しい国には寄付しないのか?」
車を運転していたら道端に血まみれのけが人が倒れていました。
「助けてください。病院まで乗せてもらえませんか?」
あなたはこう考えます。助けてやりたいのはやまやまだけど、新調したばかりのレザーシートが血まみれになるのは嫌だな。放っておいても誰かが助けるだろう。
こんなことを考えるのは冷酷極まりない人間だと思いますよね。
一方、あなたは郵便受けに慈善団体からの手紙が入っているのを見つけました。
手紙には
「地球の裏側に食料がどうしても必要な人がいる」
ちょっとした額のお金を寄付すれば貧しい国々の人々の命を救えます。
あなたはこう考えます。助けてやりたいのはやまやまだが、車のレザーシートを新調したいな。寄付はやめて貯金しておこう。
こんなことを考えるのはひどい人間だと思う人はいますか?
こちらはそう多くはないのではないでしょうか。
どうしてこのような判断の違いが生まれるのかについて記事は書かれていました。
これをカメラのオートモードに例えて説明をしていましたが、人間の脳は瞬時にオートモードのように効率のよい判断をするそうです。しかし、場合によっては柔軟にマニュアルモードに切り替えて判断をするときもある。
このことをさらに「トロッコ問題」という思考実験を例に挙げて説明をしています。
トロッコが暴走し、線路の上にいる5人の作業員をひき殺そうとしています。あなたがポイントを切り替えると軌道が変わって5人は助かりますが、切り替えた先にいる1人の作業員が命を落とすことになります。たいていの人はこれを許される判断だとするそうです。
では、同じようにトロッコが暴走し、線路の上にいる5人の作業員をひき殺そうとしていて、今度は彼らを救う唯一の方法があなたが跨線橋から1人の作業員を線路に突き落とし、彼の体でトロッコを止めるという場合だったらどうでしょうか。この場合はたいていの人は人を突き落とすことなど許されないと考えるそうです。
どちらの例も1人の命を犠牲にして5人の命を救うことになるのですが、なぜこのように判断の違いが表れるのか?
この場合、マニュアルモードでは「1人の犠牲で5人が救えるのでよい。」との判断になるのですが、オートモードでは「人を突き落すなんてダメだ」と反応する。そしてたいていの場合はオートモードがマニュアルモードの判断よりも優勢になるので「突き落すことなんてできない!」という判断を下すそうです。
このような判断の迷いが生じるのは脳に備わっているオートモードが原因だということです。
さて、わが身を振り返ってみると、自分が何かしら判断を下した時に、あとで「あの判断は間違っていたかも」と思うことってないでしょうか?
何か人から頼まれたときに、なんとなく嫌な気がして瞬時に「NO!」と言ったりするのもこのオートモードの判断なのだとすると、冷静になってマニュアルモードで判断してみると違う答えがでてくることもありそうです。
そう考えると、瞬時に判断することも必要な場合もありますが、「まてよ、今のはオートモードの判断だな。マニュアルモードだとどうだろうか」と冷静に考えてみることが必要なことが多いのではないでしょうか。
特に仕事の判断の場合は問題が複雑だったりしますから、オートモードの判断に頼らないように意識するべきだと考えさせられました。
これからは意識して気を付けたいと思います。
モバイルユーザエクスペリエンス
先週末の3連休に読みふけっていた本です。
モバイルフロンティア よりよいモバイルUXを生み出すためのデザインガイド
- 作者: 安藤幸央,佐藤伸哉,青木博信,清水かほる,野澤紘子,羽山祥樹,脇阪善則
- 出版社/メーカー: 丸善出版
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ユーザエクスペリエンスが何なのかということを考えさせられました。
これまでのスマートフォンに対する見方が変わったという意味では、目からウロコが落ちた本です。
PCは仕事をするツールとして普及し、机に固定されて画面に没入して集中して使うもの。そして、WindowsのUIはGUI(Graphical User Interface)は情報をものとして表現するために画像を使用しており、すべてのオプションはメニューとして見ることができるようになっていて、ユーザはその中から自分で探して、マウスやキーボードを通して間接的に操作するというインタラクションになっています。
一方、スマートフォンはNUI(Natural User Interface)という空間を介して情報をオブジェクトとして表すUIになっています。NUIはGUIと異なって人間の直観を利用しており、見たままが得られるのではなく、行ったままが得られるという、人間の持つ生まれながらの感覚に基づいています。NUIはコンテクストを重視し、システムが置かれた環境を重視し、インタラクションは速くて少ないのです。タッチスクリーンによって、インタラクションの仲介がなくなったため、ユーザは直接的かつ自然な方法で情報を操作することができるようになりました。NUIのシステムには絶対的なものは存在せず、その原則は状況に応じて変化します。原則というよりはその場で行動が分析され、枠組みに沿った解釈が行われます。(出典:モバイルフロンティア よりよいモバイルUXを生み出すためのデザインガイド CHAPTER2 モバイルNUIパラダイムの登場)
まず、私はどちらもGUIと思っていたので、そこから無知だなと思いましたが、確かにタッチスクリーンによって大きく操作が変わったスマートフォンは情報をそのまま触って直観的に操作しているという表現に納得したのでした。
そして、モバイルUXはPCと違って外で歩いたりしながら、いろんな環境変化の中で、通信環境が不安定になったり、ほかのことに注意がそがれたりして(皆さんもながらスマホは経験があると思いますが、画面に集中してしまうと危険ですから、注意は周囲に向いたり画面に向いたり不安定ですね)中断されることが前提で設計されているのだということも新しい気付きでした。
そう考えると、なぜLINEがこんなに使われ始めたのか、とか、なぜスマートフォンがガラケーに代わって普及してきたのかという理由がわかってきました。
スマートフォンは小さなPCということができると思いますが、PCを外に持ち出して掌の中でつかえるようにした結果、このようなUIが生み出されたのかなと解釈しています。様々な機能を小さな画面の中でしばしば中断される不安定な環境下でバッテリーや通信を気にしながら動作するシステムが選択した速くて少ないインタラクションなのだと。すばやく操作して目的に到達しないと、すぐに中断されてしまうかもしれないからです。
そうすると、アプリケーションやwebサイトのUIもそういった環境下であることを十分に理解して設計する必要があるのですが、そうなっているもの、なっていないものがあるなと思います。この本の中では外に出てUIを考えるように薦めていますが、確かに外にいることを常に意識しないと忘れてしまいそうです。
モバイルユーザエクスペリエンスというものが何なのか、じっくりと考えるきっかけとなる良書でした。この世界をもっと知りたいという興味がわいてきました。
企業の適切な規模
事業の領域にもよるとは思いますが、企業の適切な規模というものは存在するのでしょうか?
国内にもさまざまな大企業がありますが、当然その規模を維持できなくなれば会社はつぶれてしまいます。維持するにも燃費のよさ(大飯喰らいか小食か)にも依存しますので、維持するための努力が不可欠ですが、適切な規模というのはあるように思います。
少なくとも事業が拡大している間は、事業規模を拡大しつづけるために、増員することで企業の規模も拡大していくわけですが、これはどこかで頂上にたどり着きますから、そこからは新事業領域に進出してさらなる拡大を図るか、適切な規模に変わるかのどちらかになりますね。実際には事業の維持が厳しくなればリストラされたり、新規雇用を減らしたりということが行われています。もしくは、M&Aで周辺事業を買収したりして既存事業とのシナジーを高めて更なる発展といったことを目指すのですが、これは企業の規模を維持もしくは拡大し続けなければならないという競争原理の宿命によるものであって、必ずしも拡大の確信があって参入するとは限らず、拡大自体が目的化しているということも多いのではないでしょうか。
第2次産業革命によって大量生産が可能となり、次々と大企業が生まれてきたわけですが、規模の拡大によるコストダウンで安くてよいものを競争の源泉とするならば、規模の拡大は大量生産によりさらに一つあたりの生産コストを下げますから、競争力を増すわけです。これはグローバル化によりさらに世界規模で起こっており、世界規模での大量調達、大量生産によるコストダウンがなされました。
また、適切な品質レベルというものもこれにより世界規模で統一されてきました。日本市場においては品質に厳しい日本人に合わせたモノづくりがされてきましたが、不必要な高品質はコストを押し上げます。品質を競争軸においてきたばかりに、適度な品質で安い海外の製品に負け始めている事実があります。特に国内の家電メーカです。これは、内需によって国内だけで事業が回っている間は機能していました。国内だけといっても実際は輸出によって外貨を稼いでいた日本人は金持ちだったので、多少高くてもよい品質のものにお金を払うことができたのです。しかし、グローバル化により、だんだんと賃金が下がってきている現状においては、品質にお金をかけることができず、日本の製品がさらに売れないという悪循環に陥ってしまったのでしょう。
さて、そうなると、これからの企業は、
1.グローバル化によって世界規模で拡大を目指す。
2.ニッチで規模は小さくても付加価値の高いものをつくれるように変化する。
のどちらかを目指すことになるのではないでしょうか。
前者の競争軸はコストです。コモディティ化した製品に向いていますね。後者の競争軸は付加価値の高さです。こちらは規模の拡大を望めません。
1を目指してサムソンのように世界で覇権を制するくらいになれば成功でしょうが、果たしていつまで拡大をし続けることができるのか。そのためには世界規模でのマネジメントが必要です。
2を目指すためには付加価値を生み出し続けなければなりません。そのためにはイノベーティブでなければなりません。新しいサービスだったり、新しい製品だったりと生き残るには新しい価値を創造する必要があります。
少し極端な話をしていますが、最近の新しい企業は2を目指して生まれてきていると思います。その場合に適切な規模というのはあるのでしょうか。
なぜ、そのような話をしているのかといいますと、これまで規模の拡大によるコストダウンを競争軸としてきた企業が急に付加価値追求型に変わろうとしても、規模が邪魔をしているように見えるからです。
本業でなければ別会社を作ってやるのでしょうが、本業だとそういったことに踏み切れない事情があるのではないでしょうか。
これはマインドに根っこがあるように感じます。経営層から社員まで含めて、競争軸を変えるということはどういうことなのかをしっかり理解しないとうまくいかないと思います。
世の中にはこれに成功している企業はあるのでしょうか。ちょっと探してみたいと思います。
ところで話は変わりますが、星野リゾートのようにこれから拡大していく企業には様々な打ち手があるのだなと前回紹介した本を読んで思いました。
しかも、効果的な手法は定石にあるようで、まさに教科書通りの手法をまずは学ぶ必要があると感じましたので、紹介された本を読んでみたいと思っています。
まずは、キホンのこれから読んでみるつもりです。
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